最大斜度 に関するニュース


毎日新聞

愛子「勝っちゃいました」W杯10勝!
スポーツニッポン
濃霧による視界不良で何度も中断したレースは結局、全員が完了した予選成績による1本勝負に。「クリーンな滑りはできてなかった」と言うが、最大斜度35度という世界屈指の難コースで、後続に1秒52の大差をつけたタイムが優勝のキーポイントだった。 ...
愛子、難コースを入念にチェック/モーグルサンケイスポーツ
愛子、第1エア不安…モーグルW杯猪苗代大会スポーツ報知
モーグルW杯、上村らが公式練習 猪苗代大会47NEWS
中日新聞
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スキー:八方尾根リーゼンスラローム大会開幕 18~80歳、666人参加 /長野
毎日新聞
10部門に東は栃木県から西は広島県まで、18~80歳の666人(男613人、女53人)が参加。参加者数は前年比26人増。年齢、男女別にスラロームコースの滑走タイムを競う。最大斜度30度のコースは全長1618メートル。スタート(標高1410メートル)から ...


モーグルW杯、上村らが公式練習 猪苗代大会
47NEWS
フリースタイルスキー・モーグルのワールドカップ(W杯)猪苗代大会は5日、福島県猪苗代町のリステルパークで公式練習を行い、バンクーバー冬季五輪女子4位の上村愛子(北野建設)らが平均斜度30度、最大斜度35度の難コースを入念に滑って確認した。 … [記事全文]


五輪あれこれ:バンクーバー五輪 手稲山ボブスレーコース /北海道
毎日新聞
最大斜度は15度ありカーブが13カ所と少なく、スピードが出るのが特徴だった。 98年長野五輪で使用されたボブスレー・リュージュ・スケルトンの競技施設「スパイラル」は、約1700メートルのコースを埋設した冷却パイプで人工凍結させるが、手稲コースは壁面に ...


キャンパる・写Now:クライミングウオール 学校施設で最大、明大に出現
毎日新聞
高さ10・6メートル、幅11・4メートル、オーバーハング(岩壁の張り出し)は最大3・6メートル、最大斜度130度。 体育館の床から天井までそそり立つ本格的なクライミングウオールが、昨年9月、明治大学和泉キャンパスに出現した。千葉大や立教大、東京女子大 ...

最大斜度 関連エントリー

ニュース

フリースタイルスキー世界選手権開幕まで3日。世界屈指と言われる最大斜度39度のモーグルコースに観覧席を作ったボランティアたちの怖々の作業に密着。その思いはひとつだった。 18:33頃~

ニュース

コナミでのトレッドミル

... ダイヤモンドヘッドの登りにかかりますが往路登りが最も急で最大斜度12%に達します。復路もダイヤモンドヘッドを登りますがはルートが違うのか少し楽です。昨日は最大斜度の手前の登り(最大斜度9.5%)の途中で終わりです。 1回目は殆ど速歩中心 ...

コナミでのトレッドミル

気になったニュース ニトヌプリ

... 禁止区域は「水野の沢」(長さ約二キロ、幅約五百メートル、最大斜度約四〇度)。吹きだまりができやすく、一九九〇年代には雪崩事故の犠牲者も出ている。同スキー場は現在、ダイナマイトで小さな雪崩を起こして大規模な雪崩を抑止している。 ...

気になったニュース ニトヌプリ

47度!

トヨタビックエアーのジャンプ台って最大斜度47度もあったんですね。 なんか40度ちょっとだった記憶もあるんですが、記憶違い?それとも年によって最大斜度変ってる? 47度。 テレビで見ている限りだと、そんなすごい角度には見え ...

47度!

スキーソロ練習(その3)

... 2回目はルンルンコース(距離1500mで最大斜度27度) 3回目はワクワクコース(距離1400mで最大斜度29度) 4回目はパノラマコース(距離3400mで最大斜度29度) パノラマコースは下のセンターゲレンデまで一気に滑り降りる ...

スキーソロ練習(その3)

最大斜度 旅行記

スカンジナビア旅情Ⅲ:33フロム鉄道の旅(by WT信さん)

最大斜度
ソグネフィヨルド遊覧で、フィヨルドクルーズについで楽しみしていたのが「フロム鉄道の旅」。

フロム~ミュルダール間全長20.2K。所要時間50分。

高度差866m,最大斜度5度(18m進むごとに1m登る事になるそうです)。

途中のトンネル20ヶ所(内18ヶ所は機械を使わない手掘り)。

20年の歳月を掛け、1944年完成した、ノルウエー鉄道の最高傑作と自慢の物。

途中の景観の最大の呼び物がショースの滝。


フロムの町の人口は450人の小さな町だが、シーズンになると観光客で街は溢れるらしい。

加えて今日は快晴。

白い幾筋もの滝の見える山裾の港には、碧いフィヨルドに浮かぶ白いクルーズ船、屋根や壁が濃いチョコレート色のレストランやみやげ物の店、これも色濃い緑のフロム鉄道の列車、そして色とりどりの夏の様相で闊歩している、様々の顔の人たち。

楽しみの前にフロムの港のレストラン、その名も「トーゲット(列車)」で昼食。
いつの間にか船で一緒になった女子大生も、我々グループと同じ席で食事をしている。

我々の今夜のお宿は昨夜に続き「ソールストラン」だが、彼女らはオスロに直接向うらしい。


*スカンジナビア旅行で食事した全てのレストランの名前、場所、そのレストランと雰囲気を表わす写真、喫食した料理名とその写真を1ページに纏めました。
スカンジナビア3国旨いもの
  • http://www.geocities.jp/tshinyhp/hokuou/hokuoumenue/framehokuoumenue.htm



  • だが列車に乗り込んで再び、ビックリするやら、がっくりするやら・・・

    列車はここも日本人で満席で、我々が予定されていた席の窓には、べたべたと張り紙、「・・・グループ席」。
    更にの周りに席を占めていたグループの代表者らしき者まで、「そこは取ってあるようですよ・・」。

    小川TDが駅の何処かで掛け合いの末、今度は椅子席を確保できた。

    しかしこれでは左右の席を自由に動いて、両サイドの景観を楽しむ事は出来そうにない。

    諦めて、たまたま席を取った左サイドの景観は私が、右サイドはYOさんに撮影をお願いする事にした。

    したがってこフロム鉄道の景観の写真は、ショースの滝を除いて、進む景観の左右の位置に応じての二人の写真です。

    フロム鉄道の終点ミュルダールで、赤い列車ベルゲン急行に乗り換えです。

    *写真の撮影場所名とその場所のコメントはクラブツーリズム(株)提供の資料に拠る。


    ソグネフィヨルド遊覧旅行マップ
  • http://www.geocities.jp/tshinyhp/hokuou/hokuoumap/fijordenland/sognehjord/flamesognehjordmap.html

  • 【旅行時期】2008/07/03~2008/07/03
    【エリア】フロム
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】WT信

    中国旅行記3(13):6月22日(1)香港・ビクトリアピーク展望台(by 旅人のくまさんさん)

    最大斜度
    <2002年6月22日(土)>

     昨日夜、桂林を飛び立った時は、天候が崩れていました。今回の旅行は、本当に天候に恵まれていて、こんな移動の時間にだけはよく雨に遭いました。一日違いとは言え、1時間あまりのフライトで、ここ香港では好天でした。
     昨晩、2日前に日本から香港に到着したときに遭ったガイドのホウさんとは、全員トラブルも無く再会できました。空港からホテルまで1時間程の距離を車で送って戴きました。メンバーの内、1組だけが別のホテルでしたが、歩いても行ける近くの場所でした。

    <ビクトリアピーク展望台>
     泊ったホテルはリーガル・カオルーン・ホンコンです。カオルーンは九龍のことです。昨晩、ホウさんとは6時モーニングコール、7時食事、7時50分出発で約束してありました。今日はフルタイムでの香港市内見学です。
     予定通り2つのホテルで総勢10名が集合し、最初にビクトリアピークに向かいました。100万ドルの夜景を見るのに最適の場所のようです。しかし、今は未だ昼間です。
     ホウさんの話では、普段の市内は交通渋滞で大変のようです。今日は土曜日なので、サラリーマンの半数近くが休日だそうです。その分、道路が空いていました。しかし、それでも相当な渋滞でした。

     「渋滞を見越して、早めに出発しました」

     ともお聞きしました。目的のビクトリアピークは、ビクトリア湾を挟んで、九龍地区の南側になります。

     「マイクロバスで麓まで行き、ピークトラムで頂上へ向かいます。マイクロバスは、自動車道を通って頂上の駐車場へ向かいます」

     と、ホウさんが説明してくれました。車ですと、きつい坂道を登って、相当に時間がかかるようです。
     ピークトラムは最大斜度30度の坂道を難なく登っていきました。頂上近くの見晴らしのいい場所に差し掛かると、一時停車をして眺望を楽しませてくれました。乗る前にホウさんが教えてくれましたが、

     「ピークトラムには冷房装置がありませんので、暑さは覚悟して置いてください」

     の話の通り、未だ早い時間と言うのに、香港の日差しはきつくなってきました。
     頂上駅に到着しますと、見晴らしのいい場所でホウさんが香港の地形を少し説明してくれました。その要旨です。

     「山の中腹や頂上付近の建物は、高級住宅街です。借りようとすれば、家賃が30万円は下りません」

     「香港は熱さがきついので、お金持ちは少しでも涼しい場所を探して、風が通る場所に家を建てました」

     「今は中国人も住めますが、返還前は居住制限があり、イギリス人だけの居住地でした」

     と言った話でした。香港の住宅事情は厳しいらしく、新しい公営住宅を申し込んでも、入居まで短くて5年、10年程はかかるというのには、少なからず驚きました。
     10階建位の旧い公営住宅は、更に高層のものに建替えられているといいます。中心部に個人住宅は皆無で、全て高層ビルだそうです。土地は全て国家の所有担っています。これは、多分中国への返還の前からのことです。
     小1時間の自由時間を付近を散策しながら過ごしました。ビルの外は厳しい暑さなので、つい、冷房が効いた建物に中に逃げ込みました。

    <これぞ香港、タイル張りの仏像>
     麓で別れたマイクロバスは、頂上の駐車場に到着していました。その場所まで、ホウさんの案内で歩いて行きました。直ぐ近くのばしょでした。
     次の見学地は、レパルス・ベイ、漢字で浅水湾と書きます。レパルス・ベイビーチ、海水浴場がある場所です。ビクトリアピークを下って少し東に回りこんだ南側に位置します。土曜日の午前中なので、まだ人出はそれ程でなかったですが、土曜日でも午後は満員になると言います。日曜日は超満員になるそうです。
     この海水浴場には多くの仏像がひしめき合っていました。それこそ、「これが香港!」と叫びたくなる景観でした。写真にも沢山収めましたが、現世のご利益を目指して、実に色んな仏像が立ち並んでいました。まるで仏像の展示場と言った観がありました。
     素晴らしい肢体の天女がいたり、七福神がいたり、大きな魚や、狛犬の行列があったりです。台座だけでなく、仏像にもタイルが嵌め込まれて、きらびやかな色を出していたのにもビックリしました。
     この場所にガイドさんが案内してくれたのは、記念撮影の友達の商売の手助けだったのでしょう。あちこちと付いてきて、写真を撮ってくれました。

     「夕方にはホテルへ届けますが、買っても買わなくてもいいです」

     という話でした。立派な写真機だったので、全員が写った1枚だけを買い求めました。スキャナで取り込んで、この小冊子に収めるためです。
     マイクロバスの運転手さんはバスを木陰に停めて、暑さ対策をやってくれていました。こんな気遣いが嬉しいことです。停める場所を探すだけでも大変な場所だけに尚更でした。

    <街中の寺院、黄大仙>
     黄大仙は、香港市内で見る事ができる数少ない道教寺院です。もとは、広州黄沙にあったのが、1915年に香港に移されたものです。
     ガイドのホウさんの説明では、

     「元は香港の別の場所にありましたが、手狭だったので、ここに移されました」

     と言います。ガイドブックでは、『1973年に再建された』と、ありますので、その時のことでしょう。ホウさんによれば、

     「狭い香港の中心地で、偶然に広い土地が見付かりました」

     とも説明されていました。『街中に取り残された寺院』と、最初は思っていたものの、現在の地に移ってきてからは日が浅いようです。
     この道教寺院の名物は、境内にずらりと並んだ占い師の店です。そっと覗いてみましたら、何十軒もが店を並べていまし。しかし、お休みの店が目立ちました。大きな線香とお供え物、当たり前の事ですが、どちらの道教寺院も同じようです。
     お供え物は、持ち帰るしきたりも同じでした。大きな風呂敷包みのお供え物を見て、ホウさんが皆さんに中身を質問しました。誰も正解はありませんでしたが、答は『小豚の丸焼き』でした。
     これは、特別に大切なお供えのようです。備えた後は、持ち帰って一家で食すると言います。少し雨が降り始めましたが、傘を差すほどの強さではありませんでした。ホウさんの言う『晴れのち曇り、時々雨』の一環です。

    <ショッピング、免税店>
     香港にめぼしい見学コースは少ないようです。3ヶ所回りましたら、後はショッピングの店巡りです。もともと、ショッピングが日本人好みのツアーコースだったためかも知れません。貴金属店、免税店、シルクの店、何れも中途半端な金ではどうしようもない店です。
     ホウさんは、

     「香港名物は贋ブランドです」

     とも紹介していました。その説明です。

     「本物とそっくりの品が半額以下で買えます。品物はいいので、香港では贋を承知でみんな使っています」

     「贋ブランドの専門店もあります。ご希望があれば案内します」

     と言いながら、自分の持ち物の時計を外して回覧してくれました。しかし、希望者はいませんでした。

      香港で
     仏像は西向き北向き東向き現世ご利益笑顔で賜う

     シドニーの湾を思いつ香港の白き雲立つ頂に居り

    【旅行時期】2002/06/19~2002/06/23
    【エリア】香港
    【テーマ】
    【投稿者】旅人のくまさん

    香港 3泊4日(by 林檎さん)

    最大斜度
    宿泊先:ハーバープラザメトロポリス
    とてもキレイなホテル。
    地下鉄(?)の駅とショッピングセンターとつながっていて、便利。立地条件good。
    ベッドルーム+リビング+キッチン、広々快適でした。

    観光
    ・ヴィクトリアピーク
    最大斜度23度の登山鉄道ピークトラムに乗り、山頂へ。
    あいにくの悪天候で、すぐ退散。雨・霧がひどく、夜景見学は中止でした。

    ・マンモウミュウ
    香港島で一番古いお寺。
    ぐるぐる巻きの変わったお線香が天井からつるされています。

    ・ウォンタイシンミュウ
    「有求必応(願いが叶う)」「霊験(効き目がある)」お寺で有名。近代的なビル群の谷間にポツとあります。

    ・香港トラム
    香港にきたらやはりこれでしょ!屋上に乗車すると排気ガス吸いまくり。特に、香港島-九龍半島のトンネル通行時はやばかったです。渋滞もひどく、若干気分が悪くなりました。

    ・ディナークルーズ
    8,000円くらいだったでしょうか。(年末年始で通常より高いかも?)乗る船にもよると思いますが、お料理は最低最悪。でも船上から見る夜景はステキでした☆

    ・女人街
    屋台がずら~っと並んでいます。
    掘り出し物もあり!値段交渉(値切り)はしっかりしましょう。
    熱気溢れていて楽しいスポットでした。


    買い物(ラッキーなことにセール期間中)は日本にもありそうなオシャレな服屋さんが多く、たくさんしました。
    食事はもちろん中華。どこもおいしかった!
    タクシーが安いので、移動は全てタクシー。快適でした。
    治安も悪くないですし、ぜひまた行きたい国です。

    【旅行時期】2005/12/29~2006/01/01
    【エリア】香港
    【テーマ】
    【投稿者】林檎

    ここは天空の郷。。。日本のチロルと呼ばれる、信州遠山郷 「下栗の里」/ 三遠南信自動車道の完成が望まれる信州三大秘境の地  / 長野県飯田市上村 (by kuropisoさん)

    最大斜度
    下栗の里は、南アルプスを望む長野県飯田市上村にあります。
    標高1000m。最大斜度30~40度の山腹を切り開いた地に
    民家と段々畑がひっそりと佇んでいます。

    【旅行時期】2008/07/12~2008/07/12
    【エリア】飯田
    【テーマ】ドライブ・ツーリング
    【投稿者】kuropiso

    バスパックで白馬に泊まる(by keithforestさん)

    最大斜度
    団体旅行で行った北信
     例によってバスパックで北信地区に行く。ここのところ何故か長野県・群馬県へのバス旅行が続く。今回はいつもの格安に比べるとほんのちょっと値がはるものだったけれど、その増額分以上に満足感の高いもので、毎回提出するアンケートでも日頃採点の辛いこの私が珍しく「95点」をつけたくらいである。そのままのペースで終われば満点だったのだけれど、最後の最後にきて訪れた坂機(さかき)での薔薇のハウス栽培農家見学がなんともはやのもので、これは大きく期待を外れるものだったのだ。
     実はいつまでもこのツアーは「催行決定」が出ず、どうやらダメかも知れないなぁと半分諦めてきていた。というのはここのところちょっとでもいつものツアーから割高感があると途端に人が集まらなくなることが何回もあったからである。いつまで経っても「催行有力」と表示されたままで、こちらも金を振り込むのを少し躊躇していたくらいであったけれど、どうせ中止になれば返金されるのだからと振り込んだ次の日にようやく「催行決定」と表示されてホットした。どうやらいの一番に参加申し込みをしていたらしく、行ってみると一番前の席で景観を楽しむことができた。今月この企画は3回分発表されていた様だが、そのうち一回分は催行中止になった様である。
     これまで阪急交通社やクラブツーリズムのバスパックで様々な温泉を訊ねてきたのだけれど、多くの場合2泊のツアーに参加するとどちらかの一泊は必ず今にも消え入りそうな宿泊施設だったりした。ホテルとは名ばかりの、もう40年ほど経っている中途半端な施設で、サービスも中途半端になってしまってもうこれは民宿だと宣言してしまった方がわかりやすいくらいのものをよくぞここまで見付けてきたなぁと云う位のものだった。
     古い施設も100年ほども経っているものを必死になって守りながらここまで来たという施設であれば、古くても面白いものがあるが、中途半端なものは残念ながらこうした「安い分我慢してね」価格でないと生き残っていくことができない。
     こうしたツアーに初めて参加した人はこういう状況に遭遇すると「怒り心頭に発する」様である。なんてひどいツアーだ!と。慣れると「この値段なんだから我慢するしかないか」と諦観する様になる。愚にもつかない土産物を羅列している店に寄るのもそれによってツアー会社がキックバックを得ることによってこの値段が維持できているんだと理解しなくてはならない。

     さて、今回の北信バスパックは一泊で24,000円と決して安くない。しかし、その中身は濃かった。コスト・パフォーマンスとしては高かったと思っている。勿論宿泊地が全くのオフ・シーズンであるということが大きい。
     中央高速を諏訪まで走る。清里でその名前を聞いたことがある北澤美術館なる建物でパンのバフェでランチである。ガラス美術館と書かれていたけれど、私たちはチキンの照り焼き、スープ、サラダ、そしてパンのバフェという食事を取った。食べ終わって部屋を出ると、結局大きな洒落た土産物屋だった。どうやらあとで調べてみると二階に美術展示があるのだそうだ。さまざまなフルーツを刻み込んだジャム仕立てのものがあって、これは美味しかった。ベーカリーの店頭には重たいパンも提供されていたけれど、私たちのランチには軽いものばかりで、ほとんど名前の割には特徴のないものだったのは残念だった。こうしたパック・ツアーの寂しさは本当はきちんとしたものを構えているのに、「ディスカウントなんだから提供品もディスカウント・レベル」のサービスを提供しているとこの旅できた人がリピーターとして再訪することは難しいのではないだろうか。
     岡谷の駅前は随分と小綺麗になっていたけれど、その代わりに全く特徴のない街造りとなっていた。どこにでもあるどこかの街のひとつだと云っても良いかも知れない。ここにツツジを見られる公園があるという話の様で、全くの話、全く期待をせずに向かう。細い道をくねくねと走ると目の前にカラフルなツツジの山が見えてきた。それが「岡谷 鶴峯公園」であった。2-3年前に羊山の芝桜の帰り道に立川へ見に行ったお寺のツツジに比べたらその地形による景観としては見劣りするけれど、ツツジそのものとして考えると優るとも劣らないと思われる。

     その成り立ちを見てみると、この地域は現在の片倉工業(片倉キャンロンで知られ、京橋に古い社屋を大事にしている企業)の始まりだった片倉組の創始者・片倉市助、そして「シルク・エンペラー」と呼ばれた二代目・片倉兼太郎(片倉佐一)が発展させた地域だったのだそうだ。そしてあの昭和11年にこの地を地元に寄贈したが、その際に三百株のツツジを埼玉・安行に発注したところ、「あの片倉財閥の発注だから」と勝手に貨車三台分の株を送ってきたものだから、こんなにたくさんのツツジがこの山を飾る結果となったとこの公園の案内には必ず書いてある。それにしても「三百株」と「貨車三台分の株」とを読み間違えるというのはどういうことなんだろうと思うが、墨で手の立つ人にさらさらと書かれていたら読み間違える可能性がないとはいえないんだろうか。あるいは口づてで、途中で誰かが意図的に、あるいは偶々変わってしまったという「伝言ゲーム」のようなものだったのだろうか。今だから、そんな具合に楽しいエピソードと笑ってしまえばいいのかと云えば、当時は相当深刻だったかも知れない。一体、この費用を誰が出したのだろうか。片倉財閥が出したから笑い話で終われるのだろうか。ところで、何故、片倉兼太郎はなぜ、この1.6haの土地を村に寄贈したというのだろうか。
     明治の企業家のあの「慈善」が欧州の「charity」と異なる大いなる点は、この公園にも見ることが出来る。それはてっぺんにものの見事に立派に立っている片倉兼太郎の銅像だろう。横浜の浅野総一郎の銅像もそうだけれど、皆さんそんなものを残したがる。
     鶴峯公園の看板には「中部日本一のつつじ公園」と表示されている。「中部とは一体どの範囲を定義しているんだろう」と考えながらバスは一路安曇野に向かう。安曇野では「安曇野スイス村」というお土産屋さんに立ち寄るのだという話だ。途中では青々と風にそよぐ麦畑が見え、途中ではわさび畑の並ぶ清流を橋で越えていく。その脇では田植えの終わった直後の田圃、水を張り終わって田植えを待つ田圃と様々で、今まさに米作りに忙しい農家の様子が窺える。どんどん雪を被った山々が見えてくる。通路を挟んだ向こうの座席に座っておられる、多分私たちより一世代上と覚しきご夫妻が「あの辺の山はなんというの?」と聞かれるが、それを私が分かる訳がない。「安曇野スイス村」という名前は知らなかったけれど、ここはこれまでに多分三回ほど連れられてきたことのある単なるお土産屋である。前回は気がつかなかったのだけれど、外にあるお店がなかなか面白いものを並べていた。そこにいたおじさんが「食べてみてください」と云って出したものを口にしてみると、これまで食べたことのない食感と味。なんだと聞くとドライ・アプリコットを烏龍茶で戻したものなんだという。これが旨いんだなぁ。で、なんてことはない、気がついたらドライ・アプリコットそのものを手にしていた。
     ここから西を見ると常念岳、蝶ヶ岳といった山並が見えるが、地図を見るとあの向こうが上高地である。バスが147号線を一路北上すると木崎湖の東岸を辿る。この辺りはかつて何回も何回もやってきた道である。西には爺ヶ岳、鹿島槍、五竜と続き、スキー場も次々に看板が見えてくる。さすがに麓地域にはすでに全く雪はないが、上の方には残っていた様で、5月7日くらいまでは高地のリフトは動いていた様である。この辺りのスキー場は近年スキー人口の絶対数が減少しているという状況の中にはあるものの、近年外国人客がこちらも入り込んでいるそうで、別の発展系が考えられるのではないだろうか。私たちが宿泊したリゾートホテルにも台湾からの団体が遅くに到着して早くに出立していった。

     今日の宿は「白馬東急ホテル」で1959年にオープンした当時最先端のリゾートホテルだった。私が八方尾根スキー場にスキーに出かける様になったのは1970年前半だったけれど、当時はサービスも値段も超一流だったからとても泊まるなんて余裕はなかった。20代そこそこの新参者サラリーマンが泊まる様なところではなかった。上高地の帝国ホテルと並び称される様な高級・お大尽向けリゾートホテルだったのである。今回ここに泊まれるのであれば、多少いつものツアーより高くても良いじゃないかと思ったのはこんなところに理由がある。しかも、ネット上で調べてみると露天風呂月の温泉がある。このツアーが「催行中止」にならないことを願ったのはここにも理由がある。途中の道路状況が大変に良くて16時半頃に到着することができたのだから、いつもだったらすぐにでも温泉にどっぷり浸かりに行くところだけれども、30数年振りにやってきたスキー場は一体どんな様子なのかを見に誰もいない木立の中を行ってみる。もうすっかり分からないけれど、多分私たちがかつて泊まった民宿はこのホテルのすぐ下のあたりだったのかも知れない。国際のリフトも、花咲のリフトもそのままある様だけれど、勿論デュアルの高速リフトになっている。当時はとにかくゴンドラで早朝に上に上がってしまい、人いきれとタバコの煙でむんむんした兎平のロッジでボルシチの朝飯を喰ったものだった。今ではしたから垣間見えるそうした施設も綺麗な建物に変わっているが、それは当然のことだろう。人生はどんどん時間が経ってしまったのだということをひしひしと感じる。
     白馬東急ホテルの建物は見たところ新しい感じがするし、昔の建物はもう少し低かったのではないかという気がするのだけれど、と思っていたらやはり(当然のことだろうが)1998年2月の長野冬季オリンピックのために建て直されたものだという。スキー場のゲレンデ案内を見るとかの「名木」のゲレンデの最大斜度35度に負けない最大斜度を誇る「オリンピックコース」もできている様だ。
     今日の夕食はなんと17時45分からといわれていて、いつものわが家の夕食より1時間以上早くから始まるというので、慌ててひとっ風呂浴びる。それほど大きくない湯船で7m x 3m程度の室内浴槽とそれより二回りくらい小さな露天風呂で、サウナもついている。とても清潔に保たれた風呂で、ガラガラだというこの時期だからだろうけれど、実に快適で誠に云うことがない。アルカリ単純泉で無色透明。つるつるして気持ちがよい。このホテルがオフシーズンの客集めに苦労しているのは風呂の注意書きに良く現れている。ロシア語、中国語、ハングルで「下着、水着、タオルをまいての入浴はダメ、洗ってから入りましょう、タオルを湯船に入れるのは止めてね・・・」と書いてある。日本人の風呂への入り方を知らない世代が増えているから日本語も勿論書いてある。タオルは全て完備されている。浴衣で風呂に行かないと満足できない向きには裏のエレベータのみその利用が許されている。

     夕食は和食レストラン・万葉と洋食レストラン・シャトーに分かれていて、当初和食で申し込んでいたのだけれど、出発二日前に折角白馬東急のダイニングで食べるのだからと洋食に変えて頂いた。和食はどんなメニューだったのか知らないが、洋食は最高級とは云わないが、そこそこだった。
     「海老と茸と野菜のラビオリ仕立て」から「ポテトのクリームスープ」、「サーモンのムニエル(ちょっとぱさぱさした鮭だったのがちょっと残念)」「薄切りされた牛肉のソテー」「(可愛いサイズだけれど瑞々しい)サラダ」で、デザートはマッド・ケーキの様なチョコレートケーキがあって、それに横に添えられていた生のミントリーフと生クリームを付けて食べたら、かつてよく食べた英国のチョコレート「アフター・エイト」の様で楽しいものだった。ハウスワインの赤をグラスで戴くと、軽いもので美味しかった。
     今回のもうひとつの楽しみは、「全室無線LAN対応(無料)FREE SPOT」で、さんざん悩んだ挙げ句(私のラップトップは軽くない)、持ってきたパソを立ち上げてみると、一発で見付けて繋がる。いつもの温泉だったらここでテレビを見ながらいぎたなく寝てしまうところだけれど、今日は早速ブログを更新。メールをチェックして返事も書いてしまう。寝たのは多分21時頃ではないだろうか。風呂に行ってきたという連れあいに起こされたのは午前0時近くで、午前1時で一旦閉まる風呂に行かないのか、というのですぐに行く。一緒になったのはたったのお一人だった。
     翌朝6時半には起きていつもの様に早朝風呂にはいる。ウグイスが鳴いているのが聞こえる。「ウグイスや 湯気の彼方に 鳴き渡り」と詠む。朝7時からの朝食にちょっとゆっくり目にダイニングに行こうとするとおとなりの部屋の同行者の方が「他の団体で溢れかえっているからゆっくり目の方が良いですよ」と仰るので散歩に出る。すぐ奥に「樅の木」というホテルがあるが、その裏の方、たくさんのペンションや別荘が建ち並んでいるあたりを歩く。勿論セーターにウィンド・ブレイカーという格好で、多分気温は遥かに10度を下回っていることだろう。朝ご飯のバフェでおかずを選び始めたのはもう8時近くになってからである。ここの朝食バフェは一人2,500円するんだと聞いていたけれど、これだけたくさんの種類を用意し、その場でオーダーのオムレツスタンドもあるくらいだからそれだけの価値はありそうだ。私は普通のお粥+茶がゆというあたかも病人食の様な選択だったけれど、これで充分だった。ゆっくりの出発はこういうところでも楽しめる。

     バスは一旦長野市内へ向かい、飯綱から戸隠バードラインを通って結構細くて曲がりくねった道をあえぎながら宿坊に囲まれた宝光社から中社を通りぐんぐん上がる。宝光社には16の、そして中社には21の宿泊施設があるということである。天照大神が天の岩戸に隠れた時にとんでもない力を発揮してそれを開けたという、かつての大映映画では奄美大島出身のあのもみあげ・朝潮太郎が演じた天手力雄命を祀ってあるという奥社の入口でバスを降りる。
     奥社の参道はこんな山の中なのに、まっすぐ直線でどこまでも上がっていく。私たちは鳥居の前で左に折れて戸隠森林植物園にはいる。まさにタイミングぴったりで水芭蕉の群生を堪能する。冴えきった冷気の中にくねくねと清流が流れ、水芭蕉が辺り一面に群生している。木道が完備していて一周して20-25分位をまわってくるとほぼ堪能することができる。長野からここには一時間に一本のバスが往復しているらしい。尤も17時45分で長野駅に向かうバスは終わるらしい。
     森林植物園は全くの無料施設で、木道のあちらこちらにはバード・ウォッチングの人たちが素晴らしい性能のカメラにとてつもなく長い玉をくっつけて、三脚を拡げて鳥が巣穴に戻ってくるのを待っている。大変に高尚な趣味なんだと思うがあたかも早いものの勝ちだといわんばかりに木道の半分ほども占領して三脚を立てっぱなしにするのは如何なものかと思う。それも一人ではないのだから結構邪魔くさい。挙げ句にべちゃくちゃ喋りながらタバコをふかして鳥を待つなぞ、この人のポリシーはきっと「ここにいる自分が好き」という程度なんだと了解する。
     今度はそのまま山道をまっすぐ下る。そこここの湿地に水芭蕉が咲いているのが見られる。小林一茶で知られている柏原に出る。ここにやってきたのも相当に久しぶりだ。ここから牟礼を通って豊科に出て、アップルラインに乗り、豊野で千曲川を東に渡り、小布施の街の南側を通って、北から広域農道を須坂に向かう。こっちからはいると「田中本家」裏の駐車場に入ることができる。
     昨年末にはもう既に年末休暇に入っていて入れなかった「田中本家」だけに期待は大きい。すぐにこぢんまりとした食堂にはいると「本日は貸切です」と書いてある。出されたのは豪華ではないが、なかなか小綺麗に作られたもの。お澄ましはニラ玉椀でなんだか昔おふくろの実家にいくと良くこれだった。煮こごりもそして瓜の粕漬けも、鶏も、むらさき米おこわも多すぎずに丁度良かった。多分通常は千円くらいのものだろうか。食事の歳に同席させて頂いたご夫婦は旦那さんはもう既に80歳を超えておられて、奥様も70代後半だろうけれど、既に耳が遠くておられる様だったけれど、医者に「家にばかりいてはなりませぬ、外にお出かけ下さい」といわれて参加したんだと云うことだったけれど、体の大きな旦那さんが小さな奥様をかばって参加されていて、微笑ましい。
     中に陳列されていたのは5月だけに田中本家伝来の数々の五月人形の数々である。田中家は代々須坂藩、あるいは飯山藩なぞの御用商人だったそうで、名字帯刀を許されたというこの辺りの豪商だったからこれでもかと飾ってある。そもそもこの屋敷そのものが三千坪あるのだそうで、それを全部蔵様の建物で囲まれている。古伊万里から着物から様々なものが飾られているが中には北原輝久監修のブリキおもちゃなんかまで飾ってある。当代の主という人は十二代にあたるのだそうだ。裏庭には「牡丹」が咲き乱れていたし、建物そのものが綺麗に保管されていて、素晴らしく、裏庭や正面の立木も実に立派である。これだけの金持ちなんだからさぞかし反発も喰らっただろうことは予想できるが、博物館入り口に飾ってあった年表によれば明治3年に百姓一揆で襲われて一部消失した様だ。隣に当代の住居も垣間見られる。
     これで、この旅のスケジュールもほぼ終わり。あとは上信越道を下って坂城で薔薇を見る。坂城には「びんぐしの湯」という日帰り温泉があってここは好きな場所のひとつであるが、以前にあの辺を通りかかって大規模なハウスが並んでいるところに薔薇が並んでいるのを見たことがあった。案の定この一角だった。様々な薔薇を見ることが出来るのは良かったのだけれど、付随するものが余計だった。今回の一泊バス旅行はこれで終わり。充実していた。

    【旅行時期】2008/05/09~2008/05/10
    【エリア】白馬八方・岩岳
    【テーマ】
    【投稿者】keithforest